【公式】たくらふのブログ

嘘でも本当でもない夢現な日常ブログ

ニーチェの言葉1

『初めの一歩は自分への尊敬から』

 


ニーチェとは、外国の哲学者であることは知っているが

それ以上は何も知らない。

 


昔、『ニーチェの言葉』という本をもらった。

高校生の時だ。

 


分厚いハードカバーの本。

少し高級感のあるもっともらしい本だ。

故に、齢30も近付いている今になっても

本棚に陳列してある。

いつか、読もうと思っていたまま、本棚の重鎮となっていた。

 


そして、今、何があったわけでもないが

この本を手にし、ニーチェの言葉を自分なりに解釈し

自分なりに生きていくための鍵にしようと

そう思い立った。

 


この試みはおそらくそう長くは続かないだろう。

しかし、何かのために今、今こそ何かを考える時なのではないかと

そう思うのだ。

 

 

 

前置きが長くなったが、今私が手にしている本には

200を超える短文で成り立っている。

例えば冒頭のような文だ。

もちろん、その後にニーチェ自身の補足のようなものがあるのだが

それを自分で考えようというわけだ。

 


そういうわけだ。

 


今日のニーチェはこれだ。

『自分を尊敬することが第一歩だ』みたいなやつ。

 


他人を尊敬することはあっても、中々自分を尊敬しているやつは少ないんじゃないだろうか。

あいつはすげーー、とか、よくやるな、とか。

自分にはない、何かを持ってその才能を発揮し

世の中に知らしめいているような他人に対し

尊敬の念を抱く、私はそうだ。

つまり、俺すげー、とか俺はよくやってるとか

そういう気持ちと言うわけだ。

これはナルシストではないのか?

 


ナルシストになることが第一歩なのか?

 


これは少しそうかもしれない。

例えば、俺は掛け算ができるぜーー!という気持ちがあれば

かけ算が実際に出来なければならない。

第一歩とは、かけ算ができてそう思うことではなく

言ってしまったからには、思っているからには

かけ算は実際に出来ていなければならないのであると、そういう思考の順番のことを言っているのではないか?

 


俺は宝くじを当てるぜーというからには

宝くじを買わなければならない。

思いの先に行動があると、そういうことか、ニーチェ

 


いや、ニーチェは何も答えない。

自分を尊敬するとは、自分に自信を持って、何か成し遂げることができると

そう強く思うことなのだ。

それは外から見れば、皮被りのガキがかかる万能感、青春の厨二病かもしれないけれど

何もない自分が、これからそうなるには、尊敬に値しない自分になるような行動を避けるのではないだろうか。

思いの先に、なりたい自分がある。

 


まず、第一歩とは、

自分がどうなりたいか、そしてその思いを尊敬し、

そうなれるように行動することから始まる。

 


エスニーチェ、センキュー。