runner
運動不足が続く日でも
君に会えるなら飛んでく
そう、ここ数年運動という運動を定期的に実施していなかったため身体は怠け切っています。
少し階段を上がるだけでも息切れ。
齢30を迎えるにあたり、体の健康に一抹の不安がよぎります。
ともすれば、大津波が襲ってきたときに、逃げられるだけの体力がになければ、それは結果、死を意味します。
というわけで、ランニングを始めようと思い立ち、一走りしました。
10分走って、そこから折り返してまた10分の計20分間の計画です。
念入りな準備体操を経て、いざ出発。
軽快な走り出し。
本当に、思い出せないくらいいつぶりなのだろう。
序盤、というても3分くらい走ると、あと17分か…という後悔が襲ってきます。
それでも、呼吸を整えて、死なない程度のスピードでなんとか10分。
折り返しです。
10分で自分でも意外と遠くまで走れたなと思う反面、えーこれ帰んのだる。という後悔がせめぎ合います。
ただ、走ることに集中すると、自分の息づかい、脚の運び、手の振り、姿勢、目線、それぞれがしっくりし始めます。
苦しい、でもこれを乗り越えよう、あと5分だ、と、心の中では自分を励ます自分がいました。
きつくなってくると、何のために走っているのかと、自問し、歩こうぜ、疲れたよと、悪魔がささやきます。
初日からこんなんじゃ続かねえよ!と、己を鼓舞し、ひた走る。
スマートウォッチにセットした折り返しの10分のタイマーが、その終了を知らせました。
あとわずか、スタート地点の自宅前までたどり着けなかったものの、20分間走り抜いたという自身への称賛はありました。
なんのため、それは健康のため、体のためと答えますが、この走るということは、己と向き合うことでもあるのだと、走っていて感じました。
物事が単純化されるほど、人間の芯の部分、真の芯の部分、ダブルミーミング。
つまり、走る、つらい、歩く、これを許さない気持ちは、走りきる、この意思。
簡潔明瞭、己に勝つ。
運動は大事ですね。
食事と睡眠とアリナミンも大事ですね。