STARS
中島美嘉って、とっても良い声だな。
流星の絆のドラマの主題歌のオリオンも好きだけど、初期のWILLやSTARSのなんかこう地声的な感じの発声が良い。
素の声みたいな。
うめーし。
歌詞も、いや作詞は中島美嘉なの?
そう思って調べてみました!
え!STARSってあきもっちゃんが作詞してんの?!
やっぱすげーな。
WILLもじゃん!
はえー!
すご。
というわけで、中島美嘉の曲を色々漁っていたらばよ、カバーアルバムも出しておったんだね
尾崎豊のI Love Youを歌っていたのは知っていたけど、玉置浩二のメロディーとか歌ってるアルバムを見つけましたわ
SAY YESも歌ってるし。
波長合うわ〜
合う〜
カバー曲の気持ちの込めかた、特殊だわ。
気になる〜
波長逸れるぅ〜
でも、一周回って回帰ぃ〜
最終的に波長合う〜
2020年も終わりに近い。
今年は何をしたかな。
朝起きること岩の如し
ズシリときました。
朝、目覚める時はゴスペラーズの「永遠に」が流れます。
さあ、朝がやってきたと思ったその時、身体は岩のように硬く、ズシリと重かったのです。
これが老いです。
昨日の20分間の代償はあまりにも大きかった。
しかしなぜでしょう。
不快感はなく、むしろ心地よくさえあります。
嘘です。
とてもつらい朝でした。
こんなことならもうちょっと妥協しとけばよかったとさえ思いました。
眠いし。
しかし、初日の朝はこんなもんでしょうと、自分に言い聞かせます。
1日働いて夜にはなんとなく体調も悪くない。
流石に平日、翌日に出勤が控えている日は10分の往復はきついと思ったので、6分の往復とすることにしました。
続けることが大事です。
20分走れたのだから、12分は余裕だろと思いましたが、意外に疲れました。
逆によく20分走れたなと、感心しました。
この時期の夜は気温もちょうど良く、秋真っ只中という具合です。
どうしてもこの季節に思い出すのは、中2の部活終わりか、高3の受験の時期の帰路です。
今日のお供の音楽、with music、つまりウィユージックはBUMP OF CHICKENの大ヒットアルバム「jupiter」。
天体観測をはじめとして、stage of the ground、ベル、キャッチボール、ダンデライオンなど、彼らのストーリー性のある歌詞が特徴的なメジャーアルバムだ。
これ聞くと、高3の勉強がんばってるフリが辛かったあの時が苦々しくも、未来への期待と不安がない混ぜになった、例えば、夕暮れに遊ぶ子供たちに、それでも夜はやって来るような、初めて誰かを殴ったとき、拳ではない何かが痛かったような、僕らは右や左に曲がりたかったわけじゃない、ただ真っ直ぐ進む道がわからなかったんだ、的な、なんとも形容し難い思いと、髭の生えた18歳と自転車を走らせた、深く青い夜の記憶がフラッシュバックしたような気がしました。
フラッシュバックって、なんでしょう。
オーバーラップ、ということとは違うのでしょうか。
明日の朝も、おそらく岩の如し。
それでも今日は眠る。明日は来る。
runner
運動不足が続く日でも
君に会えるなら飛んでく
そう、ここ数年運動という運動を定期的に実施していなかったため身体は怠け切っています。
少し階段を上がるだけでも息切れ。
齢30を迎えるにあたり、体の健康に一抹の不安がよぎります。
ともすれば、大津波が襲ってきたときに、逃げられるだけの体力がになければ、それは結果、死を意味します。
というわけで、ランニングを始めようと思い立ち、一走りしました。
10分走って、そこから折り返してまた10分の計20分間の計画です。
念入りな準備体操を経て、いざ出発。
軽快な走り出し。
本当に、思い出せないくらいいつぶりなのだろう。
序盤、というても3分くらい走ると、あと17分か…という後悔が襲ってきます。
それでも、呼吸を整えて、死なない程度のスピードでなんとか10分。
折り返しです。
10分で自分でも意外と遠くまで走れたなと思う反面、えーこれ帰んのだる。という後悔がせめぎ合います。
ただ、走ることに集中すると、自分の息づかい、脚の運び、手の振り、姿勢、目線、それぞれがしっくりし始めます。
苦しい、でもこれを乗り越えよう、あと5分だ、と、心の中では自分を励ます自分がいました。
きつくなってくると、何のために走っているのかと、自問し、歩こうぜ、疲れたよと、悪魔がささやきます。
初日からこんなんじゃ続かねえよ!と、己を鼓舞し、ひた走る。
スマートウォッチにセットした折り返しの10分のタイマーが、その終了を知らせました。
あとわずか、スタート地点の自宅前までたどり着けなかったものの、20分間走り抜いたという自身への称賛はありました。
なんのため、それは健康のため、体のためと答えますが、この走るということは、己と向き合うことでもあるのだと、走っていて感じました。
物事が単純化されるほど、人間の芯の部分、真の芯の部分、ダブルミーミング。
つまり、走る、つらい、歩く、これを許さない気持ちは、走りきる、この意思。
簡潔明瞭、己に勝つ。
運動は大事ですね。
食事と睡眠とアリナミンも大事ですね。
時をかける少女
夏と言えばよ
やっぱり時をかける少女だろ
そうだろ
マコトはよお、序盤スゲーむかつくんだけどよ
なんでむかつくかって言うと、たぶん同類嫌悪みたいなもんかもしれねえなって思うわけよ
千秋が最後にマコトに言う、飛び出してけがとかすんなよってすげえ面白いよな
マコトはすげえ千秋が好きだったんだろうし、初恋だったんだろうなって思うわけよ
俺も小3の時好きになった子、すげー避けちゃったわけよ
好きなのにさ、意識するとすごくこう近寄りがたくなってしまったことって、あるじゃん。
それなのよきっと。
好きだから、知りたいけど、知られたくないし、意識しすぎてガイジムーヴ決めちまうんだわ。
これは恋の病。そういうもんさ。
でも、千秋を失って初めてそういう謎ムーヴに向き合えたし、反省したからこそ
千秋が未来に帰れるように、ハイパー感動ムーヴを繰り出せたわけじゃん?
これってすごいわけよね
俺も、小3の時好きだった子は五年生の時引っ越したんだけど
まあそれについては特にもう覚えてはいないからどうでもいいわ。うん。
マコトはずっと一緒に居られると思っていたし、そうしたいと思っていたはずなんだけど、千秋のことを好きだからこそのタイムリープだったわけじゃん?
これすごくいいよね。
あと、この千秋のための最後のタイムリープを生んだのが、マコトをおもう千秋の最後のタイムリープだったわけさ。
未来に帰るための最後のとっておき、使い時ってもんがあるわけだけどよ、
それをマコトのために使ってタイムリープのおかげで、マコトの千秋のための最後のタイムリープにつながったわけよ。
いいよね。
お互いがお互いを思い合っての行動でさ。事態は好転したし、マコトは千秋がずっと見たがってた絵画を未来へ残すという宿命を自分に課したわけ。
青春じゃん。
俺もタイムリープできるなら、競馬に手を出そうと、そう思ったね。
懐かしく新しく
最近、YouTubeを眺めてたらさ
なんか、良い感じのミュージックビデオを見つけちまったわけよ
neeの不革命前夜って曲でね
ゲスの極み乙女のような前衛的な新鮮さ
その中になんか感じる懐かしさ
意味がわからない歌詞
なんとなく噛みきれないような、掴めそうで取り止めのない
歯切れの良いテンポ
踊り出したくなるような高揚感
走り抜けていく爽快感
若さ
リピートしまくって聴き潰そうとしている
たぶん1ヶ月くらいはこればっかり聞いてしまいそうさあ
崎山蒼志の時以来の衝撃だ
よくよく聞いてるとなんか一生懸命歌ってるコーラスの女の子の声が
飾り気なく雰囲気に合っている
ヒカルの碁を完走したので、宮部みゆきの理由を読み終わったら、あの花を見ないと、夏が終わっちまうよ
新しいものってのは自分の中の懐かしさから生まれると思いますわ
呼び起こされる強烈さというのは、何も知らなかったあの頃の特権なわけだ
ヒカルの碁
ゴーゴー!囲碁ー!
ズンチャッチャッチャッ♪
チャンチャチャチャーンチャチャーン♫
おそらく4週目くらいの、ヒカルの碁のアニメ完走を果たした今、思うことがある。
なぜこれほどまでに心奪われてしまうのか、と。
ちなみにこれを見るたびに、碁に興味を持って、アプリなぞやってみるのだが
未だに定石すら覚えない。どへぼだ。
しかしこんな私でも、ヒカルの碁は面白い。
本格囲碁漫画であるのに、囲碁を知らなくても楽しめる、のめりこめるだけでなく、巻き込んでしまう求心力が、この作品にはある。
その正体は、何か。
人それぞれあるだろう。
しかし、ヒカルの碁に一貫するテーマがひとつあるとするのなら、私は【Get Over】だと思う。
Get Over はアニメ版第一期オープニングテーマの曲名でもある。
直訳すれば、「乗り越える」という意味。
とある碁盤に宿った平安の天才棋士、藤原佐為(ふじわらのさい)は、1000年の時を経て、進藤ヒカルの元へ蘇った。
神の一手を極めるために…。
ヒカルは佐為(さい)とともに、さまざまな経験を通じて、プロの碁打ちとなる。
宿命のライバル・塔矢アキラとともに、神の一手を極めんとし、果てなき道を進むのである。
この作品の魅力は語り尽くせぬほどあるが、
先に述べたGet Over、このテーマに絞ると、同名の曲の歌詞と含めて、魅力がすごいのだ。鳥肌が止まないほどに。
ちなみに、佐為は魂の姿なので、ヒカル以外の人間には見ることができない。
ヒカルは佐為と出会った当初、囲碁に興味はなかったが、佐為の熱心さに押されて足を運んだ碁会所(囲碁を打つための集会所)で、塔矢アキラと出会う。
第一のGet Over(以下GO)は、この出会いから始まる。
塔矢アキラの父親は、プロの棋士だ。
しかも最強(いろんなタイトルを保持している)、いわゆるチャンピオンと言っても過言ではない。
そんな父に幼い頃から囲碁を仕込まれ育ったアキラもまた、類稀なる才能を持っている。
小学6年生ながら、すでにプロになれる技量がある。これは、プロになるのは若い方がいいと言われている囲碁界でも、注目を浴びるほどの年齢だ。
ただ、佐為も負けてはいない。
平安の世で貴族の囲碁の指南役(碁の先生)として宮中に呼ばれるほどの腕前を持ちながら、志半ばで自ら命を断つ。
しかし、その無念の魂は再び、江戸の世で虎次郎のもとに蘇った。
虎次郎は佐為の望みを聞き入れ、多くの者と囲碁を打ち、後に本因坊秀作(ほんいんぼうしゅうさく)と呼ばれ、1000年後の現代でも最強の棋士と呼び声高いほどの偉人となった。
虎次郎は佐為の好きなように打たせてやっていただけなので、つまり、現代にまで伝わる伝説の棋士・本因坊秀作=佐為なのだ。
話を戻そう。
ヒカルのもとに蘇った佐為と、塔矢アキラの出会いについてだ。
神童と呼ばれ、いずれ父親と同じ道を歩み続けることを自覚していたアキラの前に、同い年の子供・進藤ヒカルが現れた。
佐為の言う通りに打つヒカルと対局(囲碁でバトルすること)し、そして、その強さに圧倒される。
これまで味わったことのないほどの高い壁に、アキラは敗北し、挫折を経験する。
しかし!!
アキラはヒカル(を通して打つ佐為)の強さを認め、恐れはしても、決して逃げることはしなかったのだ!
GOしようとしたのだ!!
GO!アキラGO!!
もう一度、ヒカルを倒すために対局を挑むが、またしても大敗を期す。
ヒカルも佐為との触れ合いの中で少しずつ囲碁に興味がわき始め、自分でも囲碁を打ちたいと思うようになり、中学校に進学と同時に囲碁部に入部する。
塔矢アキラは学校こそは違えど、ヒカルを追って囲碁部に入る。
本来であれば部活には所属せず、プロ試験を受けてプロになるはずだった。
しかし、ヒカルを倒すためだけに囲碁部に入部したのだ。この執念。
そして迎えた中学囲碁大会。
ヒカル(佐為)とアキラの3度目の対局だ。
対局前、ヒカルと対峙したアキラの手は恐れで震えていた。それほどまで恐れる強敵からアキラは逃げずに立ち向かってきたのだ。
アキラが佐為を追うこの姿に、ヒカルは感化され、佐為とアキラの対局中に、自分で打ちたい!!と思うようになる。
そして、ついにヒカルは途中から自分で打つのだが、アキラとの力の差は歴然だった。
ヒカルの弱さに、アキラは憤慨した。
「ふざけるな!!!」
アキラは行き場の無い気持ちを抱え、ヒカルの前から姿を消した。
ヒカルは自分の弱さを痛感し、しかし塔矢アキラをいつか超えて見せると心に誓うのだった。
超えることのできない壁に諦めずGOするアキラ。
これが第一のGO。
そして、佐為を追うアキラを、ヒカルがGOするのだ。
このGOの連鎖。たまらねえ…!
ヒカルはアキラを追うためにプロになろうと決意する。
囲碁部の大会の後、アキラはプロ試験に合格し、プロとなっていた。
ヒカルも1年遅れでプロ試験に臨むべく、院生(囲碁の塾の生徒のようなもの)になった。
しかし、プロへの道は険しい険しい…。
ヒカルは受験者たちとの熾烈な対局の中で、己の未熟さ、弱さに打ちひしがれる。
しかし、佐為と共にそれをGOしていき、確固たる自信をつけてプロへの切符を掴みとったのだった。
そう、佐為を追う塔矢アキラのGOが、アキラを追うヒカルのGOへとつながっていくのだ。
見事。鮮やか。
そして、絶対的強者である佐為は、自身の命運を悟る。
ひょんなきっかけから塔矢アキラの父親、塔矢広洋と佐為の対局が実現したのだ!
最強VS最強。
もちろん、塔矢広洋は佐為のことを知るはずもないので、ヒカルの知り合いのネット碁しか打たない友人として、だが。
インターネット囲碁で、このドリームマッチが繰り広げられる!
序盤、塔矢広洋の最強たる底力が、今までの対局者の中で最も佐為を追い詰めた!
しかし、佐為の底知れぬ読みの力によって、じわじわと追い付き始める。
そして、終局まで読み切った塔矢広洋が出した答えは、「投了」。
つまり、サレンダー、自ら負けを宣言したのだ。
この対局は世界中のネット碁ユーザーが注目し、プロも「名局」と言わしめる伝説となった。
この2人の対局を間近で観戦したヒカルは、静かに語り出す。
「ここ、」
盤面の角を指し、続けた。
「この黒で、塔矢先生はこの切断に備えたろ?
必要な一着だって、誰でも思うよな…
でも、ここをこう打った手で、ここを置きにいけば
ほら!
こう打った手で、実戦より得してるじゃないか!
佐為の負けだ!」
わたしは囲碁をやらないから全くわからなかったが、要は、実際に対局していた佐為も塔矢広洋も気づかなかった一手に、ヒカルは気付いたのだ。
そして、その一手がこの勝負の真の分かれ目。
この一手こそが、「神の一手」なのだ。
佐為は悟る。
自分が現世に蘇った理由を。
ヒカルの元へ蘇った理由を。
この一局をヒカルに見せるために、佐為は蘇ったのだ、と。
鳥肌だ。
名シーン。何度見ても震える。
佐為は自分の役割を終えた。
現世にいられる時間が、容赦なく減っていくのが実感できるようになる。
結果、佐為の魂は成仏する。
虎次郎が佐為のために存在したように、佐為はヒカルのために存在したのだ。
あの塔矢広洋との一局を見せたことで、ヒカルは秘められた才能を開花させることになった。
しかし、佐為が消えるその時、ヒカルは寝ていた。
別れはいつも唐突に訪れるものなのだ。
佐為が消えた理由を知ることのないまま、佐為が消えたことに絶望する。
ヒカルは佐為への自分の言動について後悔し、自分なんかじゃなく、佐為にもっと打たせたら良かったんだと嘆く。
そして、佐為が戻ってくることを望み、佐為に打たせるため、自分で囲碁を打つことをやめた。
しかし、あるきっかけからある人物との対局の時、自分の打ち方に、佐為の面影を見る。
あんなに会いたかった佐為は、ヒカルが打つ碁の中にひっそりと隠れていたのだ。
そして、長く険しい、神の一手を極める道を歩む覚悟を決めたのだった。
ここが第3のGO。
超えられない佐為という壁であり、かけがえのない友人。そして、その喪失。
佐為を追ってきたアキラに応えられない自分の頼りなさ。
そういったさまざまな苦悩を、GOして成長したのだ!!
ヒカルのGO!
魅力はこれだけではない。
語り尽くせない。
Get Over という曲がとにかくストーリーにあっている。
1期のオープニングであるGet Over がアニメ版最終話に流れる演出は、アニメ界屈指の名演出だろう。
とにかく、一見の価値はある。
囲碁に興味がなくても。
GoGo囲碁を見よう。