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嘘でも本当でもない夢現な日常ブログ

打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか

岩井俊二「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」の

広瀬すず菅田将暉を声優に起用したアニメ映画を観ました。今更。

夏だしね、暇だしね。

 

ぽけーっと見てたら、声が可愛いなとかそういう感想しか生まれなかったけど、

よくよく後から考えると、なるほど、青春だねと思ったね。

 

今回はよくわからなかったストーリーを自分なりに解釈してみました

 

及川なずなが拾った変な球は、そいつを投げると願いを叶えてくれる。

でも、それは「もしもこうだったら」という世界線へ連れて行く装置だと考える。

島田典道が「もしもクロールで俺が勝っていたら」、「もしもなずなと電車にのれていたら」

という願いが叶った世界では、花火が平べったかったり、変な形だったりと、

元居た世界とは少し様子が変わっていたのが、その根拠だ。

島田典道は、そんな世界でもなずなと一緒にいれるならそれでいいと、そう思っていたが

酔っ払った花火師が盛大にその球を打ち上げてしまったことで、球は破壊される。

散り散りになる破片の中に、島田典道だけでなく、及川なずなも同級生の安曇祐介も

自分の中の「もしも」の世界線を見る。

そして、島田典道と及川なずなは、共通の「もしも」の世界をその輝きの中に見る。

幻想的な世界の中で、二人は抱き合い、キスをした。

 

変な球が破壊されたことで、おそらく花火が丸い、元いた世界線へ戻ってきた。

花火大会の翌日、出席をとる担任の点呼の中に及川なずなの名前はない。

屋上で一人空を見上げる島田典道。

物語はここで幕を閉じる。

 

 

こうしてみると、結局島田典道が及川なずなと一緒にいるために生み出した

「もしも」の世界線は全て彼の想像の世界で

現実は、及川なずなは引っ越してしまって救いのない話のようにも思える。

でも、我々が生きている世界、この現実はまさにこれだろう。とも思う。

 

あの時こうしていれば、ああしていれば、もしも。。。

こんな後悔を誰しもが抱えている。

 

最後の最後で、思いを寄せる及川なずなと同じ願いを持っていることがわかっただけ

島田典道は幸せだったことだろう。

それがわかった上で離れ離れにならないといけないことを考えると、そうとも言えないのか。

 

まあそんな感じの映画でしたわ。

岩井俊二は「リリィシュシュの全て」で初めて知ったけど

中学生なのかなってくらい青春のリアルを生々しくみせる。

親の都合の転校なんて、子供にどうにかできるもんじゃない。

及川なずなも電車で島田典道に、家出なんか出来やしないと言っていたように。

子供だけど、だけど何か自分自身のことは自分で決めたい、自分のやりたいようにしたい、

という、なんかそういうのがあるよね。

彼が見つめているのはいつも現実で、現実に生きるしかないということを幻想的に描いている。

 

解釈はまあそれぞれ思うところがあるとして

序盤の及川なずなが母親に連れ戻されるどうしようもなく絶望的なシーンから、

「もしも」の世界線で繰り広げた中盤の同級生や母親たちが、島田典道と及川なずなを

追いかけ回すシーンへの、この緊張感の緩みと打開への希望に移りゆく様は

鮮やかに心を駆け抜けていった。

最終的には、上述のように現実へ引き戻されてしまうのだけど

作品の流れに心が心地よく流されていったように思う。

 

あとは広瀬すずの声が可愛いのと

及川なずながどうしても戦場ヶ原に見えてしまう時はあるということ。

それだけでも一見の価値はあると私は思うのだがね。