いつか
サムデイアゲイン
どうしようもなく
サッドになった
そのウェンは
ウェアにいても
ホワットドゥしても
ダッシュでランするから
ポピュラーなワードなんて
ダストボックスにポイしよう
高校生の時、ゆずの「いつか」を、このような頭の悪い替え歌をして楽しんでいました。
でも、「どうしようもなく」の部分。
ここを何かに言い換えていたような気がするんですが、何も思い出せず、ようは当時も思い浮かばずだったのだろうと、そういう事にしました。
もしかしたら、「ホープレスリー」とかなんとか歌っていたのかもしれませんが、今となっては誰も知り得ないことです。
記憶とは得てしてこのように、時とともに改変されていくものなのかもしれません。
100日前に僕は何を食べたのか、とかいう必要のないことは忘れてしまうように僕らの脳はできているようで、本当に自分が生きてきた軌跡を残したくなるものです。
けれど、自分の命が終わってしまえば自分という意識が無くなってしまうのでありますから、さあ、ともすれば、僕の人生なんかは、僕が生きた証なんていうものは、この先何も無い事になってしまうのです。
こんな中学2年生が国語の授業中に窓の外を眺めながら一生懸命考えるようなことを、ただつらつらと書き連ねて、僕は一体何を残そうというのでしょうか。
そうです。新しい命を残すのです。
ここまで文学的なテイストを醸しつつ思考を展開していて、即物的に、生物的に、本能的に、
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彼の手記は、ここで途切れていた。
それ以降のページは白紙である。
おそらくは、彼はこの後に400文字ほど“何か”を書き残していたのだろう。
なぜそんな事がわかるのかといえば、この続きを私が知っているからだ。
彼がこの続きを書き残せなかった理由も、私は知っている。
そう、「彼」とは「私」だ。
1000文字ほど書き連ねた後、なぜか消えたのだ。
残されたものは、先程の書きかけまでだ。
なんという、言葉にできない、ワードレスな、筆舌に尽くし難い、虚しさ、虚無、悲しさ、悔しさが入り混じった、アーハンな気分で、このことの顛末を書き連ねている。
自分でも、ああ、なんという随筆だ、と感嘆するほど自分の世界に入り込んでノリノリで文章化していただけに、誠に遺憾なことだ。
という夢を見た。